こんにちは!
山一ホームは
おかげさまで今年創立30周年を迎えます。
今回、弊社代表のインタビュー記事が、
昨日付けの西多摩新聞(2016年1月22日金曜 第2527号 第2面)に
掲載されましたので、ご紹介します。
以下に、全文を掲載します。
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トップの横顔
『西多摩の不動産業を牽引』
青梅線、五日市線エリアを中心に30年間、注文住宅、開発分譲、分譲住宅を手がける
「山一ホーム」。
1986年の設立以来、7千件以上の不動産販売実績を誇り、現在は山一建設と青梅支店を設立し、
不動産開発(約35億円)と仲介業(約3.8億円)、建物のリノベーションを柱に事業を展開。
「営業話術は意味を持たない」を営業方針とし、「人間力溢れる不動産コンサルティングのプロ集団」を
標榜する同グループを率いる山野井信夫社長(64)は、一代で同グループを三多摩でも指折りの
不動産業者に成長させた。
立川市で生まれ、国分寺市で育った。日本大学明誠高校、桜美林大学経済学部を卒業後、
日野自動車の関連会社に就職し物流管理に携わった。
27歳のとき、当時東京都内でも指折りの不動産会社だったジャパマーハイツに入社。
営業職を経て注文建築部の管理職となった。その後、ジャパマを離れて羽村市内の
仲介不動産会社に勤めながら、これまでに蓄えた資金で会社を興すことを考えていた矢先、
ジャパマが倒産。ジャパマ時代に山野井さんの部下だった4人から「一緒にやってほしい」と請われ、
1986(昭和61)年3月、不動産売買、仲介の「山一ホーム」を羽村で創業したのは33歳のときだった。
「バブルが弾ける前の、景気が悪い中での起業。すぐに倒産するぞ、という声も聞こえました」
と振り返る。「お金もなく土地も買えないので、仲介から始めて、少しずつ資金を貯めました。
とにかく一生懸命真面目にやろうと、それだけを考えた」。
「なにしろ、当時の不動産業は荒っぽい業者も多く、決して評判のよい業界ではありませんでした。
それを変えようと。ビジネスとして、きちんとした不動産業の新しい形を作らねばと思った。」
日野自動車グループでの勤務で培った経験が、その根拠になったという。
山野井さんの真摯なトップセールスは徐々に地域の信頼を得て、同社はバブル崩壊を乗り越え、
体力をつけていった。90(平成2)年、念願の建設部門として「山一建設」を設立。
建設工事設計・施工、建売分譲住宅、輸入住宅の施工を手がけるようになった。
『ライフスタイル、文化を提案』
同社の自社ブランド、オーダー建築「グレースコート」は好評で、現在では、ブランドを含めて
コンスタントに年間100棟の建売注文住宅を手がける。
2013(平成25)年度の売り上げ実績は約35億円。都心の宅地に比べ、敷地が大きいのが
同社の物件の特徴だ。
山一ホームの同年度実績約3.8億円と合わせ、計約40億円の売り上げを誇る。
青梅線沿線の不動産業としては一番で、三多摩でも5本の指に入る不動産業者に成長した。
「阪神大震災のときには売り上げが急激に落ちました。しかし、そのとき、いざというときには
財力・体力が重要であると学んだ貴重な経験は、3.11のときに生きました」。
「不動産業者にとって、これからは可能性もあるがリスクも大きい難しい時代。うちは普通の会社。
地域での信用が何よりも大切です。質の高い不動産を提供し、ライフスタイル、文化や機能的な
様式美を提案していくこと」と話す。「地元ハウスメーカーとして、皆さんのニーズを捉え、大手が
やれないことをていねいにやること」とも。
山一ホームは今年30周年を迎える。
3月には、福生市加美平に新社屋を完成し、本社を移転する予定だ。
「いいものを作り、よかったといってもらうことがすべて」と人懐こい笑顔を見せた。
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羽村市、福生市、青梅市、あきる野市、瑞穂町、日の出町を中心に
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羽村市緑ヶ丘1-23-9 (羽村本店)
☎042-555-9500
http://www.yama1-home.com/